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65機   (クラス会)                                  支部・クラス会へ戻る

平成31年2月24日  第65回機械科A組クラス会    (昭和38年3月卒)

平成31年2月24日(日) A組第2回目のクラス会を 広島駅前のホテルセンチュリ−21広島で行いました。
出席者19名 欠席者20名 住所不明2名 死亡者7名でした。3分間スピ−チで近況を話しました。中でも四国から初参加した2名が、懐かしく近況を語ってくれました。3年ぶりに再会しましたが、和やかな雰囲気で3時間がアットいう間に過ぎてしまいました。次回も是非開催してほしいなどの声が多く聞かれました。       
                                               世話人 常友・出口・西岡・星野・堀田、


平成28年5月18日  第65回機械科B組クラス会    (昭和38年3月卒)  

平成28518日(水)に、第65回生機械科B組クラス会を「広島の宿相生」(広島市中区大手町1丁目3-14)で開催しました。参加者19名での会でした。

老少不定は世の習いとは言うものの私達も古希を過ぎ、“会える時には会おう!”という機運が自然と高まり、前回開催(平成262月)からまだ日が浅いけれども今回の開催に至りました。

卒業直後は、北は北海道、南は九州と散り散りになりましたが、現在では帰郷して広島に居を構えた者が多くなりました。従って、参加者の大半は当然ながら広島周辺からですが、県外からも4名の参加がありました。さらに、参加者の中には50年ぶりの級友もいました。卒業以来の顔を眼前に過ぎ去った歳月、多くの歴史を刻んでいる顔、そして若かりし頃との顔の比べっこ、遂に、思い出したのか、記憶のスイツチが入ったのか、突然動き出した玩具のように「〜君」とお互い声を掛け合い、長い時空間を一瞬にして引き寄せ色々の思い出などを話し合っていました。中でも「体は外側から見れば変化がない。しかし白蟻の喰った家みたいなもので、内部のパーツは少しガタが来ている」とか「色々な病気を経験したから次に何が起きても驚かない」とか、年齢と共に変化する体の様子を身振り手振りでおもしろおかしく会話が弾みました。

最後に校歌を皆で歌い次回の開催を2年後と決め皆笑顔でその場を去っていきました。当夜の広島の街はいつもより賑やかだったことでしょう。

 驚いたことに、古希を過ぎた現在でもまだバリバリの現役が数名いるとのことで、たいしたものだと感心しました。やはり県工パワーはすごい!と再認識したところです。

次回2年後も依然としてバリバリの現役がいるに違いないと密かに期待しています。        
                          (感想執筆  藤田 親)
 

 


平成28年3月7日   第65回機械科C組関東地区クラス会  (昭和38年3月卒) 
我々のクラスは、関東地区に就職した者が多く、現在でも7名くらい居ます。関東地区で毎年一回のクラス会を行っていますが、今回は、母校の大先輩である三好松吉(第2回卒)氏が創設された鞄d業社機械製作所を見学させていただきました。

 電業社機械製作所見学
会社は国道一号線で柿田川湧水を箱根に向けて東進し、三島市に入ってすぐ北に拡がる。近くには別の富士山湧水「清住緑地」があり、立地選定に水を求めた創設者の思惑が感じられる。
その創設者の一翼を担ったのが、母校では三好奨学金・同文庫でご存じの三好松吉(第2回卒)氏である。
また、町名を「静岡県三島市三好町」という。三好氏にあやかって名づけられたと、歴史書に記されています。同窓生としては限りなく嬉しくなってしまいます。
会社見学は6名でしたが、全員実務を離れて10年余り、久しぶりに嗅ぐ機械油の臭いや、聞いて嬉しい専門用語に技術者魂を喚起され、興奮の連続で時間を忘れて全てに見とれたのでした。
電業社は創立105年になりますが、昭和30年に「青天の霹靂」とも言える経験をしている。創立以来水車のトップメーカーとして君臨してきた事は枚挙に暇がないが、後の日本の水車の発展を考えて水車を東芝に合併移管、自社には15%のポンプ、風力機械のみを残したのである。電業社のその後の頑張り・奮闘は「大型ポンプ、ブロアーの世界を代表するメーカー」として、衆目の一致するところであり、工場の中にも目を見張るものが多々存在した。
仕掛かり品・試験装置・掲示・従業員などに三好氏の薫陶が感じられる程でした。残念だったのは同期B組の加藤史郎君が昨年11月末、嘱託勤務を経て亡くなっていたこと、更に説明を予定していた県工OBが出張で不在であったことでした。
それでも酒宴への道すがら一同で加藤君のお墓に参り、見学の報告が出来たのは同期の情け、もっと早く見学していればと思うばかりであった。
終わりに、当日電業社から蔵書「50年史」「60年史」「三好松吉追悼史」がありましたので、母校に謹呈いたしました。
                                                         筆者 光宗建夫
 
             光宗       大本       荒木    伊藤      清水      松本


平成27年2月22日  第65回機械科A組クラス会    (昭和38年3月卒)  
平成27222日(日)に、第65回生機械科A組クラス会を、広島駅近くのホテルセンチュリー21で行いました。18才で卒業し、52年後の70才で始めて再会しましたので。受付テーブル付近では、あまりにも変ってしまっているので大騒ぎでした。
受付に出席者が来るたびに、変わった体形を見て「あんた、誰かいのー」の、会話が飛び交い大笑いでした。
出席者の感想をまとめてみると
1,クラス会を開いてもらい、良かった有り難う。・・・・
2,死ぬまで、クラス会は無いと思っていた。・・・・
3,21名の出席があり大変満足しました。・・・・
予定時間の2時間半が、あっというまに過ぎてしまいました。皆さんつもる話が、まだまだありましたが、最後に懐かしい”大天地に・・・・・”校歌を歌い散会しました。
たくさんのスナップ写真がありましたが、後日その一部を掲載します。
                         幹事代表 出口照夫
 

平成26年2月1日  第65回機械科B組クラス会    (昭和38年3月卒) 
 

 顔、顔……。開始時刻がせまるにつれて更に顔、顔、顔。

平成2621日(土)に、第65回生機械科B組クラス会を「広島の宿相生」(広島市中区大手町1丁目3-14)で開催しました。
我がB組は伊達・三坂両先生のもとに総勢49名おりましたが、残念ながら既に他界された友がおり、現在は42名です。そのうちの20名が今回集まりました。また、県外からも6名が集まり、大いに盛り上げてくれました。
昭和52年以来37年ぶりの開催でした。従って、個人的な交際者を除くと37年ぶり51年ぶりの再会でした。そのため、開始時刻直前までは昔の面影そのままの人から互いに凝視しあっても思い出せない人までいろいろな表情、光景が見られる滑稽な時間が流れました。時間神のいたずらを垣間見た気がしました。しかし、そこからが第65回生機械科B組の底力、県工時代と変わらずチームワークの良さが十二分に発揮されました。開始時刻直前とは全く別の時間空間が出来上がりました。自然発生的に一人一人が率先して話種を蒔き、みんなの眼前でみごとな話花を咲かせたのです。すばらしい心ほのかな光景でした。さすが日本産業の発展に一役買った県工第65回生機械科B組の強者、級友を誇らしく感じました。恩師の一言を胸に仕事に励み、そのことを自らの人生訓としている者、大病を患ったからこそ、ともすればマンネリ化惰性化しやすい趣味を単なる娯楽ではなく完遂意識を強く持ち、生きる糧としている者、恩師の授業形態を真似て場の雰囲気を和ませてはいるものの既に恩師に会えない寂しさをこらえながら強い尊敬の念を持ち続けている者、同じく外見的にはエンターテイナー的な言動をしているが内実は常に場の観察分析力に長け、どんな状況にも対応できるような洞察能力を磨き続けている者等々、一生懸命さがひしひしと伝わるクラス会でした。
今回のクラス会は“チームワーク”“やる気”“生き様”と云うようなキーワードが思い浮かぶパワー漲るクラス会であったと感じています。

閉会間際には全員で、“大天地に…”を腹底から歌い上げ、近いうちの再会を誓い合いながら散会しました。
                     (感想執筆;石川俊幸)


平成17年8月20日   第65回機械科C組クラス会  (昭和38年3月卒)
平成17年8月20日に、クラス会を開催しました。参加者は18名で、久しぶりのクラス会でした。出席された皆さんは、みんなお元気そうでうれしく思いました。お互いに近況を話しながら、多感な青春を共に過ごした高校生時代の想い出へと話がはずみ、とても楽しいひと時でした。
次回は皆さんと再会できることを楽しみに散会しました。
                                                    幹事 錦織・神鳥