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54建   (クラス会)                                  支部・クラス会へ戻る

 平成25年 9月20日   第54回建築科クラス会  (昭和27年3月卒)

 昭和21年広島県立広島工業学校(旧制)最後の入学生、卒業は新制高校第3回皆実高校工業部建築科、現在も残る出汐町旧広島陸軍被服支廠のレンガ造りの倉庫であった。
終戦後の物資不足食糧難・住宅不足の生活で戦前戦中戦後と誰しもが経験し得ない数少ない県工54回の卒業生である。
 建築の山村 林先生の卒寿と我々傘寿を共に祝賀するクラス会に中野 二郎(英)先生 因幡 昭冶(体)先生のご臨席を得て920日メルパルクに東京・大阪・山口から駆け付けた友を含め16名が集う。3先生とも大変ご壮健でご挨拶の話ぶりも昔と変わらず懐かしさ一杯感謝一杯である。
 建設の槌音空高らかに広島の復興、日本の再建を夢に、昭和30年代のオリンピック景気と相まって右肩上がりの波に乗ったものの、二度に亘るオイルショックその後の不景気を体験した我々の生活、人生体験も労苦も忘れ去り、今日は喜びに満ちた顔・顔・顔の談笑、今迄異なる職場にいても再開すれば青春時代のあの頃に戻れるクラスメイト、物忘れや言葉が出なくなった齢ではあるが、一分間スピーチになると口だけは達者で、なかなか順番が廻ってこない。
 後期高齢者ならぬ幸期高齢者を目途にケンコウ(健康・県工)一番、元気一杯またの再会を期し、因幡先生の一声で乾杯。                                 古林 記
 

 


平成22年11月15日   第54回建築科クラス会  (昭和27年3月卒)
山村先生米寿の祝い中野先生・因幡先生傘寿の祝いを記念し、また自分たち建築科の喜寿の祝いのトリブル祝いの会を鯉城会館で行いました。

平成18年7月28日   第54回建築科クラス会  (昭和27年3月卒)
半世紀以上に亘って建築の仕事に携わってきた、昭和27年(1952)卒の匠の師のクラカ会である。
昭和21年旧制の県立工業学校最後の入学との変則的なクラスで皆実高校工業部建築科卒業で今も残る出汐町赤レンガ建て(被服支廠)2階での殺風景な卒業式であった事が、つい昨日のように想い出される。
本年が卒業54年と県工54回卒との語呂合わせで54+54=108、過ぎし日の煩悩を拂い新しい人生の出発を誓う意を含めた、橋岡幹事の発案で急きょ7月28日東京・大阪からの友を含め23名が県民文化センターに集う。
恩師村上久雄(数)・山村林(建)・中野二郎(英)・因幡昭治(体)先生を囲んでの談笑、千田町時代の校舎倒壊後の青空教室、石炭エネルギー時代、オイルショック等話の泉は止まることを知らない。
カラオケも歌い放題、青春に戻っての若々しい声が続く。
戦後の右肩昇りの時代を設計や現場で過ごしたマイスターも最近の建築士構造疑惑、業界の不祥事、エレベーター事故など危惧しながら3時間有余、千古に茂る宇品山晨に夕べに今もなお・・・の校歌の大合唱を最後に母校の更なる発展を記念し高齢化の我々が幸齢化社会になることを念じつつ散会                      古林 記