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56機  (クラス会)                                    支部・クラス会へ戻る

平成25年5月31日 B組クラス会  13時〜1時間(学校見学)
    野球場のホ−ムベ−ス上で、真藤さんを中心に全員を撮影   鋳物実習場を見学
塑性加工場を見学  
昭和29年3月機械科卒業(担任 垣坂先生)のクラス会を行いました。今回は午後1時に学校に集まり機械科実習場を約2時間かけて見学しました。我々の時代はは千田町校舎から現在の出汐校舎に移転したばかりで、すべてが新しくなっているので懐かしさがありませんでした。自分たちの学生時代が千田町校舎で学んだ最後の生徒ということになります。
自分たちのクラスには、真藤良二元野球部監督がいますので、最後にはグランドに整列して記念写真を撮りました。中央が真藤さんです。現在も放課後はコーチとして学校に出てノックをしています。
学校見学後はホテルに直行して胚を重ねながら、楽しいひと時を過ごしました。   幹事 岡本(代筆 吉森)
 
後日幹事の方からお手紙がありましたので、追加掲載いたします。
学校見学を終え、懇親会へと移りましたが、席上皆一様に「母校の変革」の有様に加えて生徒たちの「こんにちは」という素直な挨拶に驚喚した話題で持ちっきりであったこと、なかには[冥土へのよき土産となった」と表現した兄たちもいたこともお伝えします。私自身はこれらのことに加へ、教室外壁に表示してあった数々の「標語」、さらには道すがらに立つ「校訓」に心を打たれました。願わくば全校生徒達がしっかりと胸中に納め、明日の社会へと巣立って行くことを思いやるのみです。母校ならびに同窓会の今後の益々の発展を祈念すると共に、、先生方や生徒の皆さん健康に留意されて、さらなるご活躍を祈ります。   幹事


平成22年11月20日 B組クラス会  鯉城会館
平成22年11月20日、鯉城会館・孔雀の間で「高貴高麗者祝賀会」と称して、平成9年以来7回目のクラス会を開催しました。18名の諸兄が遠くは東京から、岡山から賭けつけてくれ、堅い握手を交わし元気で再会できた喜びを分かち合いましたる
記念写真撮影の後、会が始まりました。かってそれぞれ善きライバル同士だった諸兄たちも、卒後半世紀が優に経った今では一様に「好々爺」となり、孫の話や往事を懐かしむ思い出話などで、宴席はこれまでにない盛り上がりを見せました。
会進行の半ばからは、諸兄それぞれが演壇に立ち「近況スピーチ」に入りました。
まだまだ「現役」で頑張っている兄たち、木工や絵画などの「カルチャー教室」を開いている兄たち、「地域に根ざした幅広い活動」に専念している兄たち、里山の再生を目指し「NPO」を立ち上げた兄、「胡蝶蘭栽培ビジネス」に限りない夢と情熱を注いだ兄、機械実習で習った旋盤加工が糧となって「大学助教授」を勤めた兄、多趣味をもち「豊なシニアライフ」を優雅に送っている兄たちなどなど、ユーモアを交えたスピーチに大きな拍手が沸き宴席は更に盛り上がりました。
が、深刻なスピーチもありました。今夏の異常気象が、太田川水系の動植物や魚類の生態に「明らかな変化」をもたらしたというのです。「丹精込めて実らせた稲のほとんどが鹿に食われ、人間はその食べ残しを食することになった」と最後は笑わせましたが、地球環境の大切さに諸兄皆が思いを新たにしたしだいです。
あれやこれやと賑やかに盛り上がった2時間半の宴席は、あっという間に過ぎてしまいました。最後は体調を崩している諸兄の早期回復を祈りながら、次回は2年後の「喜寿祝クラス会」で再び元気で逢おうぜと、全員が右手を高く突き上げ「乾杯の音頭」で締めくくり、会を終えました。    幹事 重本英明・岡本光晴

平成16年7月22日   松原先生(担任)葬儀に参列
松原先生の葬儀の後、担任であった松原先生クラスのメンバーが多数参列していたので集合写真を撮りました。
先生の元気なときに、クラス会をもっとしておけばよかったなー・・・・・・・・等の会話が聞かれました。
         広島市東区専光寺にて